なぜ、猫という生き物はあんなにも自由なのだろうか。
彼らは普段どういう考え方をしているのだろうか。
自分もできることなら、あんな風に自由に生きてみたい。
ふと、そんなことを考えるあなた。
彼らが自由である秘密をお伝えします。
- なぜ猫はあんなにも自由なのか【猫の思考回路とは】
- 日常でお手本にできる猫の自由奔放スタンス3つ
- 猫を師として自由に生きる
私自身、猫の生き様には深く感銘を受けています。
彼らから得られる生き方のヒントを見つけ出し、
自分らしく振る舞えるように日々を過ごしましょう。
なぜ、猫はあんなにも自由なのか【猫の思考回路とは】

そもそも猫は「自由」を意識してなどいない
彼らにとって自由とはごく当たり前のことであり、考えるまでもないこと。
自由か不自由かの概念など存在せず、無意識レベルで自由なのです。
DNAの塩基配列に自由が組み込まれた状態で、彼らはこの世に降臨しています。
なので、もし彼らが人間の言葉を理解でき喋ることができたとして、
「なぜ、あなたたちはそんなにも自由なの?」
と問いかけても、きっとこう答えるでしょう。
「なんのこと? ただ生きてるだけだよ。」
実に愚問です。
あなたは猫を「飼って」はいない
どういうことでしょうか。
飼い猫であれば人間に飼われているということになります。
しかし、それは人間である私たちの主観であり、妄想です。
彼らはあなたに飼われているなどとは微塵も思っていません。
猫と人間は対等なのです。
彼らはあなたのことを「超おっきい猫」くらいに思っています。
「依存心」というものを持ちあわせていないのです。
これは、私たち人間が見習わなければならない意識ではないでしょうか。
人間というものは依存する生き物です。
そのせいで身動きが取れなくなったり、悪い習慣が身についたり、人に頼ってばかりになってしまったりと。
彼らにはそれがありません。
「いやいや、毎日餌を与えているし、世話をしている」
「私がいなければこのコは生きていけない。間違いなく私が飼い主だよ」
そう思ったあなた。
そうではないのです。
たしかに、餌を与え世話をし住居を提供しています。
しかし彼らもまた、あなたに癒しと安らぎを与えているのです。
対等なのです。
猫であることに誇りを持っている
「自分にものすごく自信がある」という人はなかなかいません。
多かれ少なかれ、誰だって自分に対して悩みや不満、コンプレックスを抱いているものです。
それが人間という生き物です。
それで良いのです。
しかし、これが猫になると話は別です。
彼らにそんな思考回路はありません。
自分が猫であることに絶対的な自信と誇りを持っています。
他者と比べることもせず、コンプレックスも抱きません。
誇りが揺らぐようなことは微塵もないのです。
凛とした面持ちで背筋を伸ばし、まるでオブジェのように座っている
あの姿を想像してみてください。
「私は猫なのだ。」
そう言っています。
日常でお手本にできる猫の自由奔放スタンス3つ

好奇心に対して素直になる
「あれはいったい何だろう……」
日々を生きる中で、「気になること」は山のように溢れかえっています。
「なぜ」「どうして」という疑問や 「知りたい」という興味は、誰にでもある本能です。
しかし、毎日を忙しく生きる現代人はそんなことをいちいち気にしている暇はありません。
「気にせず働け」と、心に好奇心のブレーキが装着されているのです。
ブレーキがまだ付いていない幼い子供を見てください。
毎日が好奇心のパレードです。
ひとつの疑問から次の疑問へ、その疑問からまた次へ。
とどまるところを知りません。
子供の目がキラキラと輝いているのはこれが理由です。
世界が不思議で満ちていて、輝いて見えているのです。
猫というのは、まさにこの状態です。
好奇心のブレーキなど生涯つけることはありません。
いま、気になることに全力で集中する。
他のことなど目もくれません。
好奇心に対して真剣なのです。
ただ、人間の大人がこうなってしまうと問題なのも事実です。
社会の一員として生活している以上、ある程度まわりに馴染んだ行いをしなければなりません。
好奇心のブレーキというのは、文明社会にとって必要だから備わるものなのです。
それでも、人間は少しブレーキをかけすぎてはいないでしょうか。
もう少し、好奇心に対して素直になっても良いはずです。
一度装着されたブレーキは外れません。しかし、かかり具合は調整できます。
何日も頭から離れない疑問があるのなら、それはあなたの好奇心が反応している証拠です。
そんなときくらいは猫の好奇心に対する忠実さを見習い、少しブレーキを緩めて、とことん追求してみてはどうでしょうか。
その時のあなたは、子供のようにキラキラと輝いた目をしているはずです。
嫌なことを無理にやらない
猫は、嫌なことには徹底的にNOを突きつけます。
そっぽを向いて、意地でもやりません。
実に頑なです。
彼らは、嫌なことは自分にとって害でしかないと分かっているのです。
そんなことをして消耗するなんて言語道断、愚の骨頂です。
一方人間は、嫌なことでもやらなければならない場面が山ほどあります。
そうしなければ社会で生きていけないからです。
世の中そういう仕組みになっているので、それは諦めましょう。
ただ、嫌でもやる必要があることと同じくらい、やらなくていいこともあります。
何でもかんでも受け入れていたら疲れ切ってしまいますが、断れそうな場面でも実際なかなかNOと言えず、嫌々ながらにやってしまうことがよくあるはずです。
やることを選択する以上に、やらないことを選択しましょう。
それは本当に無理をしてでもやる必要のあることですか?
それを断ると取り返しのつかないことになりますか?
猫に意見を求めると、
「それより他に大事なことがあるんじゃない?」
と言うでしょう。
自分は自分
猫は自分に誇りを持っています。
自分は自分であり、それ以外の何者でもないのです。
誰かに憧れて真似をしてみたり、人と比べて落ち込んだり。
人間はそんなことを思いがちです。
他人と比較して優劣を判断する生き物です。
しかし、考えてみてください。
あなたはあなたであり、オリジナルです。
あなたがあなたの完成形なのです。
そして、あの人はあの人の完成形であり、まったく別物です。
比べることに意味はありません。
なぜなら、あなたの基準はあなたの中にしか存在しないからです。
自分の基準を他人に当てはめると、ズレが生じるのは当然です。
猫のように背筋を伸ばし、凛とした表情で胸を張りましょう。
あなたはあなたであり、オリジナルです。
猫を師として自由に生きる

ここまで、猫の生き方と人間の生き方を「自由」という観点から観察してきました。
いかに彼らが自由であるかを感じていただけたかと思います。
人間と猫を比べても仕方がない。
属している社会が違う。
猫のようには生きられない。
わかります。
たしかに人間誰しもが猫のように生きてしまうと、世の中成り立ちません。
文明の崩壊です。
猫になるのは思いとどまってください。
しかし、猫の行動や思考回路から人間が見習うべき点もあります。
規律やモラルに塗り固められ、テクノロジーの発達により考えなくても答えが出てくる。
そんな現代社会に生きるうちに、人間はなにか大きなものを失いつつある気がします。
言われてみればそんな気はするけれど、それがいったい何なのかわからない。
大事なことを見落としている気はしなくもないが、何を見落としているのか。
何かつかめそうだけど、忙しいからまた今度考えよう。
……窓際で佇んでいる猫に目を向けてください。
自由の化身がそこにいます。
それが答えです。

彼らを心の師匠として、好奇心を操る修行を再開しましょう。
幼かったあの頃のように。


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